×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

エリートだった武田勝頼が破滅したのは、父・信玄を超えようとした「傲慢さ」のせい!?

日本史あやしい話9

 

■史書には見えない勝頼の許嫁八重垣姫とは?

 

 さて、長々と勝頼のことを書き記したが、次に、勝頼を愛した、八重垣姫なる女性について話をしよう。

 

 と、ここまで読んで、「あれっ?」と思われた方もおられるに違いない。勝頼の妻となったのは、史実として定かなのは、前述の龍勝院と北条夫人の二人だけだからだ。それ以外にもう一人、高畑氏なる氏族の娘を娶っていたと言われることもあるが、これは定かではない。何れにしても、彼が八重垣姫なる女性を娶ったとの記録は、史書には見当たらないのだ。

 

 早々に種明かしをしておこう。実は、この女性、実在の女性ではない。浄瑠璃や歌舞伎の演目『本朝廿四孝』に登場する、架空の人物である。史実とは異なるものの、これまで流布されてきたものとはひと味異なる、愛されるべき勝頼像が描かれているので、是非とも頭に入れておいていただきたいのだ。何はともあれ、その物語を振り返ってみることにしたい。 

 

■『本朝廿四孝』に描かれた勝頼と八重垣姫の物語

 

 時は、甲斐の武田信玄と越後の長尾(上杉)謙信が敵対していた、その頃のことである。主人公の八重垣姫とは、この物語の中では、武田勝頼に嫁いだ謙信の娘として登場する。ただし、史実としての謙信は、生涯不犯、つまり女性と交わることを頑なに拒んでいたというから、本来ならありえない話しである。養女ということにしておくべきなのだろうか。

 

 ともあれ、武田家と上杉家の不和を将軍・足利義晴が案じたという(史実として両家を取り持ったのは義昭)。そこで将軍が仲立ちして、信玄の子・勝頼と謙信の娘・八重垣姫の縁組を勧めて両家を和睦させようとした…。それが、この物語の始まりであった。

 

 これで両家も安泰かと思われたその矢先、突如、将軍が何者かに暗殺(史実としては病死)されることに。いきなり、暗雲が漂うのである。3回忌までに両家が犯人を見つけなければ、双方の子息を差し出すよう命じられたから大変。結局、期限までに犯人を見つけられず、とうとう勝頼は切腹させられてしまうのである。

 

■祈りが通じてハッピーエンド

 

 物語はここから大きな転換点を迎える。この死んだはずの勝頼、実は影武者で、幼き頃に、家老・板垣兵部の子と差し替えられていたというからびっくり。本物は、長尾(上杉)家に奪われていた武田家の家宝「諏訪法性の御兜」を奪い返すために、そこに潜り込んでいた蓑作という名の庭師であった。同時に、武田家の腰元であった濡衣という女性も、蓑作と共に潜り込んでいたことにしている。

 

 何も知らぬ勝頼の許嫁だった八重垣姫は、亡くなった勝頼(偽物)を供養し続けていたが、ある時、庭師の蓑作を目にしてびっくり。亡くなった勝頼とそっくりだったからである。勝頼の面影漂う蓑作に目を奪われた八重垣姫。早速、濡衣に仲を取り持つよう頼むも、一度目は断られてしまう。濡衣もまた、蓑作こと勝頼に恋していたからであった。

 

 それでも、諦めきれずに何度も頼む八重垣姫。とうとう濡衣が根負けし、「諏訪法性の御兜」を盗むことを条件に仲立ちを約束。そればかりか、蓑作が本物の勝頼であることまで打ち明けてしまうのであった。こうして、八重垣姫は、蓑作が本物の勝頼であることを知り、二人は涙の再会を果たして抱き合うのである。

 

 ところが、間の悪いことに、八重垣姫の父・謙信もまた、蓑作が勝頼だったことを知ることになる。死んだはずの勝頼が生きていては困るとでも思ったのか、一計を案じて、蓑作を塩尻に使いに出すことに。同時に、追っ手を仕向けて、蓑作こと勝頼を殺害しようと目論んだのだ。

 

 この勝頼の危機を知った八重垣姫、勝頼の元へと駆けて行こうとしたものの、女の足では間に合いそうもないことに気が付いて愕然。思わず、例の諏訪大明神の神通力を授かると言われる「諏訪法性の兜」に手を合わせ、「あ〜、翼が欲しい。飛んでいって勝頼さまに危機が迫っていることをお伝えしたい!」と、無心に祈ったのである。

 

 と、祈りが通じたものか、八重垣姫が突如、狐の姿となって、諏訪湖上空を飛んでいったという。勝頼に追いつき、追っ手が迫っていることを伝えることができたのである。その知らせによって難を逃れた勝頼。その後、二人はめでたく結ばれた…というところで、幕が降ろされるのである。

 

■物語の中で見つけた愛されるべき勝頼像

 

 一説によれば、信玄の娘で、勝頼の異母妹にあたる菊姫をモデルにしたのではないかと見られることもあるが、定かではない。史実としての菊姫とは、長篠の戦いの4年後の天正7(1579)年に、甲越同盟の証として上杉景勝に嫁いだ女性であった。

 

 勝頼は、嫁入後の妹・菊姫のことがよほど気がかりだったと見えて、嫁ぎ先に度々書状を送ったといわれる。この兄妹の仲の良さが転じて、このような物語に仕上げられたとも考えられるのだ。

 

 気位の高い、傲慢さが鼻につくような、これまでの勝頼像とはひと味もふた味も異なる、人情味あふれる勝頼のもう一つの顔。そんな心根の優しさに重きを置いて仕立てられた物語の中の勝頼。愛されるべき勝頼の一面を垣間見たようで、心なしか、ほっとさせられてしまうのである。

 

本朝廾四孝の武田勝頼、八重垣姫(東京都立図書館)

 

KEYWORDS:

過去記事

藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

最新号案内

『歴史人』2025年10月号

新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル

邪馬台国の場所は畿内か北部九州か? 論争が続く邪馬台国や卑弥呼の謎は、日本史最大のミステリーとされている。今号では、古代史専門の歴史学者たちに支持する説を伺い、最新の知見を伝えていく。